3.11東日本大震災の被災者の一人として!7年経って変わったこと、変わらないこと


私が21年間住んでいた東海村(現在はつくば市在住)は、1999年9月30日日本で初めての原子力施設の臨界事故が起こりました。事故が起きてから19年が経とうとしています。経営している店舗から事故現場となったJCOまでは3キロの距離でした。

地図で分かるように、東海スマートETC ⇨ JCO(臨界事故施設) ⇨ たんぽぽ(現:カレン東海店)は1本の道上にあります。

東海スマートETC・JCO施設・美容工房 たんぽぽの位置関係

現在はつくばに住んで東海村まで高速道路を使って週に3日ほど通勤しています。常磐道の東海スマートETCからお店に向かう間に臨界事故が起きた場所「JCO(ジェーシーオー)」があります。19年前と姿が全く変わってしまったので、地元に住んでいる人以外はそこを通ってもあの臨界事故を思い出す人はいないかもしれません。

臨界事故のおよそ12年後2011年3月「東日本大震災」が発生しました。正直のところ、私自身の人生に臨界事故と東日本大震災が大きく関わりそのために私自身が変わらなければならない事が沢山ありました。全てを書く事はできませんが、臨界事故も震災もできることなら経験しない方がいいですよねぇ。そんな思いを込めて書いていますのでどうぞ最後までお付き合いください。

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[1] 2011年3月11日午後2時47分のあとに・・・

正直に言います。どうして原発はなくならないのでしょうか?作ることはできても後処理ができない施設や原料を扱うことを愚かだとは思わないのでしょうか。私は政治に特に関心が強いというタイプではありませんが、この原発に関しては「絶対反対でなくすべき」という考えを強く持っています。臨界事故以降に起きた東日本大震災でも、東海村で問題視されたのはやはり「原子力関連施設」です。

3月11日(金)はいつものように午前中は美容室の営業をして、午後から隣町にある「久慈サンピア日立」で開催された「健康セミナー」に参加するため、スタッフも含め出掛けていました。セミナー終了間際の午後2時47分地震が発生して、恐怖心を持ったまま、津波の心配がある中・・・どうにか車でお店まで運転して戻りました。

「(お店の状態が)なにも変わらずあってほしい」という願いはむなしく、この時の東日本大震災で人生初!茫然自失(ぼうぜんじしつ)という状態を体験させられることになりました。午前中は営業できていたお店が数時間で崩壊してしまうなんて考えられませんよね。

写真のとおり、崩壊状態でした⇩

平成23年3月11日(金)震災直後の「美容工房 たんぽぽ」の状態

東日本大震災発生からおよそ5ヶ月後の2011年8月頃から工事がはじまり建屋の耐震補強をして建て直してもらってリニューアルオープン(12月20日)直前のお店の状態が下記の写真です⇩

リニューアルオープン直前の「美容工房 たんぽぽ」の様子

ところで、ご存じのように3月が近づくと毎年新聞やテレビで東日本大震災と原子力施設の話題で福島県が一斉に取り上げられ話題になります。 今朝3月11日も朝のニュース番組で福島県相馬市の青のりが7年ぶりに出荷できるという地元漁師の話題を取り上げていました。ところがインタビューになると「そうはいっても東日本大震災前の出荷量の10分の1なのでまだまだこれからだ」と青のり漁師が話していました。

福島県は海産物はもちろん、野菜や果物などすべて放射線量を測定し安心安全な食べ物を提供しているとテレビでもお知らせしています。今朝のニュースでも「今日本で1番安全な食べ物は福島のものだと思う」と漁業関係者が言った言葉が印象に残りました。

私のお店のある茨城県東海村は地図でいうと福島の真下にあたります。 19年前臨界事故でやはり風評被害がひどく、事故の翌年は名産品である乾燥いも(ほしいも)が全く売れないので、ラベルから東海村で収穫した事実を伏せて他の産地で収穫したものとして販売したことがあります。

国がどんなに叫ぼうと、新聞やテレビで安心だ安全だといっても「風評被害」というものは後々まで記憶に残るので東海村も福島と同様に苦しんでいるのです。日本で最初の原子力施設のある東海村で事故が起きた場合30キロ圏内の住民の避難方法などテレビや新聞でよく話題になっていますが「人間てなんて愚かなんだろう」と言う思いがいつも私の頭をよぎっています。

実は東海村内でいまだに立入禁止になっている場所や地域がたくさんあります。遺跡や公園などあちこちで放射線量がいまだに下がらず…今では話題にもなりませんが、実はそんなところがたくさん残っているのです。

[2] 2011年8月4日~東北一周で見たこと、感じたこと

震災から5ヶ月経った8月に一人で東北1周ドライブをしてきました。 1週間の予定で震災の現状をこの目に残しておきたかったからです。海岸線沿いに福島を抜けて宮城県に行こうとしましたが、途中で関門のようなところがありました。

「立ち入り禁止区域」で、そこには自衛隊などたくさんの人がいて「ここからは立ち入り禁止だから磐越道に回っていってほしい」と言われ、やむなく山側である郡山方面から宮城県に向かいました。

写真を見てもらうとわかりますが、あまりのひどさに途中からはだんだん写真を撮るのも嫌になってきました。それぞれ地元の人たちと会話をしてももちろん楽しい話はできませんので1週間の予定でしたが、結局3日で帰ってくることになりました。

新聞やテレビ・・・特にテレビで東日本大震災の津波や家が流される様子を見ているとだんだん気持ちが沈んできますよね。それを目の前で現実として見てくるとそういう思いがいっそう強くなります。現実を知らなければいけない、目をそらしてはいけないという思いと見た後のがっかり感や喪失感はなんとも言葉では言い表せないものがあります。

東日本大震災から7年経った今でも7万人以上の人が避難生活を余儀なく送り行方不明者2,500人以上というこのような現実と向き合っていかなくてはならないし、明日は我が身と言う言葉があるようにいつ自分もそのような環境に置かれたり、命を落とすかもしれないと言う覚悟は必要だと考えるようになりました。

以下は2011年8月3日から東北全県を単独ドライブで行った中からの写真です。後半はシャッターを押すのさえ抵抗があり・・・なかなか撮影が出来ない気持ちになっていました。

2011.8月 東北全県「東日本大震災の爪痕」

[3] 東日本大震災で変わったこと、変わらないこと

19年前の臨界事故の時は売上げが20%以上落ちてしまい、それに伴い美容室のスタッフが7人から3人になりました。売上げが徐々に下がりはじめ、このままでは給料を支払い続けることが不可能になることが予測できたので、技術者から1人1人説得して辞めてもらうことにしたのです。

繰り返しになりますが・・・

東日本大震災のあった日、3月11日はいつも通り営業がはじまり、そのあと午後からセミナーに出かけました。ところが数時間後の午後3時にはお店が完全に崩壊してしまったのです。

セミナー会場からお店まで戻る途中の20分のあいだ、たくさんのお家の屋根が崩れ落ち、門扉や石塀も壊れているのをたくさん見ながら運転して帰りました。途中、心の中で何事もないように祈りましたが・・・ダメでした。

写真は平面なのでよくわかりにくいと思いますが、 3D?で実際に見るとそのショックは言葉で表すことが出来ないほどの被害の大きさです。しかも震災から9ヶ月経った12月20日にリニューアルオープンするまで、営業はできませんでした。

震災で失ったもので1番大きなものは「お客様」でしたが、リニューアルオープン後にほとんどのお客様はたんぽぽに戻ってくれました。私自身は臨界事故の時以上に、東日本大震災後には、

  • 人間はいつどうなるかわからない
  • 自分が生きたいように生きる
  • その時その時を一生懸命生きる

そんなことを考えるようになりました。災害や事故はいつどのような形がタイミングでやってくるか分かりません。もしかしたら人生の舵取りを大きく取らなければいけなくなるかもしれません。それでも命ある限り一所懸命生きていかなければなりません。生きたくても生きることができなかった人たちの上に自分たちの命が支えられているように感じるからです。

[4] 臨界事故や震災で学んだこと、生かされていること

19年前の臨界事故と7年前の東日本大震災は私にとって一生忘れられないものになりました。人生に対する考え方も大きく変わりました。自分のブログを立ち上げた理由の1つに東日本大震災の影響があります。生きてるうちに誰かの役に立ちたい、本気でそう思えたからです

震災や事故はいつ起こるか分かりませんが、運を味方につけて生き続けたいと思います。 121歳まで生ききることを自分の目標にしていますが、長生きする分だけ社会に何かしら恩返しできると思っています。邪魔になる年寄りではなく、

  • 誰かの役に立つ年寄り
  • 誰かのためになる年寄り
  • 誰かには愛される年寄り⇦「誰からも愛されるのはムリだと思うから」

を目指してこれから60年生き続けたいと思います。長寿のギネス日本一目指します(笑)

  • 心身ともに健康で
  • 自分のやりたいことができる経済レベルで
  • いざというとき世のため人のために時間を自由に使うことができる
  • 自分の家族や気の合う仲間と一緒に過ごせる環境
  • 死ぬときに「幸福な人生だった」と言えること
  • 大切な人とさよならする時に「あなたと出会えて幸せだった」と言ってもらえる

そんな人生でありたいと考えています。欲張りですね~自分にはまだまだやりたいことがたくさんあります。それがなぜか自分の欲望ではなく、自分が生かされている理由なのではないかと思うことがあります。自分のやっていることやこれからやろうとしていることが、誰かのためになったり役に立つと確信しているからです。

震災後もこうして自分が生かされているのは、震災の経験を生かすためと感じるのです。
「生かされいるのは経験したことを生かすため・・・」これからはこの使命を背負って生きていきたいと思います。では又。吉原将行

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